日本の報道の自由度がタンザニア以下になったわけ * (2016年4月20日)
Originally published as “How Japan Came To Rank Worse Than Tanzania In Press Freedom”
メモ・和訳は趣旨翻訳で、公式のものではない。後書きは元の記事に掲載されていない。
ジェイク・エデルスタイン(著者)
非営利団体「国境なき記者団」による新しい格付けによると、日本における報道の自由度は今やタンザニアを下回っている。日本は同団体による2016年度の報道の自由度指標において180カ国中の72位で、昨年から順位を11下げた。ヨーロッパの報道機関が今年最も自由を享受しているとされたが、アジア太平洋地域の大半で状況は深刻に悪化した。日本の記者にとって事態がおかしくなり始めたのは比較的最近のことだ。わずか6年前には日本の自由度は世界11位だったのだ。
国境なき記者団は180カ国をそれぞれの報道の自由度によって格付けした。以下は2015年度からランキングが最も下降した国々である。
日本の報道の自由がこうも不振なのは、世界を牽引する先進国の一つであることを思うとなおさら驚きだ。人口1億2500万を擁するこの島国は、世界第3の経済規模と、戦後の憲法が言論・報道及び集会の自由を保障する力強い民主主義政体を持っている。
「来月主要7カ国首脳会議を主催するという時に、報道への弾圧は日本の国際的な恥であり、日本を先進国から孤立させるものだ。」と、テンプル大学の史学教授でアジア研究学科のディレクター、また「現代日本:1980年代以降の歴史・政治と社会の変化」Contemporary Japan: History, Politics and Social Change Since the 1980s の著者でもあるジェフ・キングストンは言う。
2011年の福島原発のメルトダウンが報道の自由が衰退する下地を作ったとキングストンは言う。「日本のランクが下がったのは、メディアが福島のメルトダウンを十分に報道しなかったことと政府が事故を小さく見せようと努めたことに端を発している。東京電力(と日本)は原子炉が3機メルトダウンを起こしたことを2ヶ月に渡って否定した。残念ながら日本のメディアはこの茶番劇に共演。それというのも、日本では全て情報をもらえるかにかかっているからだ。統制に従わない報道機関は気づいた時には当局から干されている。福島の事故以来、歴史や憲法改正、安全保障の基本原則をめぐる日本の文化戦争(価値観の衝突)がメディアを舞台に繰り広げられてきたのだ。」
2007年に支持率が下がる中突然辞任した安倍晋三首相が、5年後の2012年に再び政権についたとき、政府は国内の報道の中に嗅ぎ取った偏向を取り締まり始めた。
当初、メディアは安倍政権批判をためらわなかった。麻生太郎副総理が日本は第二次世界大戦の前に密かにドイツの憲法を変えたナチスの手口から学ぶべきだと言ったことを激しく非難した。が、評論家たちは、麻生の提案がその後に起こることの前兆だったとも指摘。
2年前、安倍内閣は表向きは機密情報が中国やロシアに漏れることを防ぐよう設計された特定秘密保護法案を通した。しかしこの法案によって、ジャーナリストやブロガーが国家機密とされることについて質問することで、たとえそれが機密事項であると知らなくても最大5年間の懲役に処されうる。この法案が2013年12月6日に可決された時は何千人もの人がデモを行った。
安倍首相の友人で保守派の実業家である籾井勝人が2014年、日本の大手公共放送事業者NHKの会長になり、NHKの報道の独立性は弱まった。籾井は公式にNHKの報道は「日本政府とかけ離れたものであってはならない」と発言している。
首相の率いる自由民主党も先日、政府が「公益及び公の秩序に反する」言論を制限することができる憲法改正を提案した。
2015年6月には、自民党の議員らが政府に批判的な報道機関を罰し、企業がそうした報道機関に広告を出稿しないよう圧力をかけることを求めた。
今年、安倍内閣の総務相、高市早苗は「政治的な公平性を欠く」報道を行った場合、その放送局を操業停止にすると脅したが、放送法により高市にはその権限が与えられている。
その1週間後、安倍政権に批判的であった3人のテレビのニュースキャスター(古舘伊知郎、岸井成格、国谷裕子の3氏)が皆、その担当番組から消えた。
日本のベテラン記者たちは安倍政権が報道に圧力をかけていることを批判してきたが、同時に国内の報道において高まる自己検閲も非難する。「私にとっては、最も深刻な問題はテレビ局上層部による自己規制だ。」と日本で最も著名なジャーナリストの一人である田原総一郎は先月会見で語った。
「安倍政権によるメディアの独立性への脅威、ここ数ヶ月の報道機関における人事のどんでん返し、それに主要報道機関内部で高まる自己規制は日本における民主主義の土台を危機にさらしている」と国境なき記者団は今月発表された報告書において日本における報道の自由の衰退について結論づけている。
「報道の独立性は深刻な脅威に直面している。」と国連の「意見及び表現の自由」の推進と保護に関する特別報告者 デイビッド・ケイ氏は外国特派員協会で火曜日に催された会見で語った。「私や私のチームに連絡を取ってきたジャーナリストの多くが話をするに当たって匿名を希望した。その多くが政治家たちから間接的に圧力をかけられた後、第一線から外されたり沈黙を強いられたと話した。」
もともとケイ氏は昨年の12月に日本に招かれていたが、日本政府当局側が会合の日程調整が間に合わないと主張した後、急に訪日が中止になっていた。
ケイ氏は報道の自由を保障するため日本の放送法を改定するよう求め、日本の記者クラブ制度を報道の独立性を阻害するものであると批判した。日本では記者は記者クラブと呼ばれる業界団体や政府機関に置かれた報道機関の組織を通して取材を許される。記者クラブは門衛の役割を果たし、通常は週刊文春のような調査報道に秀でた週刊誌の取材を受け入れない。
「こうした記者クラブに所属する記者はもっぱら同種の社会ネットワークに専念しがちで、そのことが圧力を生み出す余地を与えるのだと思う。それは実に抗いがたい一種の同調圧力なのだろう。」とケイ氏は話した。
後書き:
清武英利氏(元読売新聞社会部次長・『しんがり 山一證券最後の12人 』の著者)の考察
もともと日本の「言論、報道の自由」は戦後に与えられたもので、日本の新聞人やジャーナリストが勝ち得たものではありません。しかも、戦時下の翼賛報道の反省も十分に行われないままに再出発しているため、「報道の自由」の基盤が脆弱で、個々の新聞人もまた覚悟を持たないまま今日に至っています。世情が左傾化すればそちらへ、右傾化すればなおさら右へと、覚悟のない記者や幹部がふらつき、政権に迎合して部数を獲得しようという新聞社が登場するのは何ら不思議ではありません。
一方では、個々の記者の抵抗力が弱すぎるということも言えます。
報道の大きな使命が権力の監視である、ということを忘れたり、失念したふりをしているヒラメ記者が山のようにいます。
大手の新聞記者は、特権階級にあります。エスタブリッシュの一翼を担っていることを常に自らに問いかけることが必要で、権力に抗う姿勢を失った記者は、AI(人工知能)に置き換わる、単なる書き手に過ぎません。
*またこの籾井会長★の発言もある。「日本の立場を国際放送で明確に発信していく、国際放送とはそういうもの。政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」。
*和訳を提供したマミさんに感謝。
*Yahoo Newsの要約も要点を得ています。「自民党議員らによるメディアへの圧力発言や、高市早苗総務相が放送法4条を盾に圧力をかけ、古舘伊知郎、岸井成格、国谷裕子の3氏ら著名キャスターが番組を降板したなど、これまでの経由を説明した。
★NHK内では「キモい会長」という愛称で呼ばれているそうです。
[…] Source: http://www.japansubculture.com […]